「焼き」の話
東京でお披露目するなら、ご両親に東京の美味しいものも紹介したい。わたし達はそう思うのです。(そうです。Aさんも東京の美味しいものが好きなのです。)
ところが、「ロシアから来ると東京の食は、エキゾチック過ぎることがある」とAさんは主張します。わたしも、Aさんの最初の滞在で、Aさんが少し苦労していた食材があったことを思い出しましたので、さもありなんと思うのです。
リストアップ
ここは、2人で食事についてリストアップする方が良さそうです。
寿司
ここは欧州で流行中で、Aさんの大好物、寿司をリストのトップに……「いやいや、ロシアは生物食べないから、寿司は無理よ」。と言うことは、刺身も難しい訳ですね。「当たり前」。
これは大事な情報です。刺身が難しいと、懐石系の料理も少なくとも事前の調整が必要です。
もっともうちは刺身を食べられない家族がいますので経験しているのですが、懐石系は事前に刺身部分についても調整をお願いしておくとなんとかしてくれる場合が少なからずあります。
すき焼き
冬ですから、鍋などよろしいかと思います。そう提案しつつ、「すき焼きどもありますぜ」と言ったところ、「生卵は難しい」とのこと。なるほど、これはドイツ在住中も言われたことがあります。肉系の鍋ならしゃぶしゃぶの方が安全そうです。
焼き物
「思うんだけど、『yaki』ってついている料理が一番いいと思う」とAさん。なるほど「焼きもの」ですか。「うん、焼き鳥、鉄板焼き、お好み焼き……」。これらは随分違うカテゴリにあるように思いますけれど、確かにどれも「yaki」ですな。
でもこれは、良い情報です。少なくとも3食カバーできました。
居酒屋
串焼きがシャシリクみたいな感じだと考えると、串焼き系の居酒屋は良さそうですね。色んなものを少しずつ試せますし。「そうだね」とAさんは言います。「ただ、お父さん飲み過ぎないかが心配」。ぬぬ。わたしがウワバミではないので、お付き合いできないのが申し訳ないです。
これは少し待機リスト入りにしましょう。
「さん」と愛称の話
人のブログの記事からテーマを拝借するのは、書き溜めたものを全部吐き出してしまった証拠なのですけれど、今日も拝借しましょう。
わたしたちの呼び方の話です。
ロシア語の愛称の話
ロシア人の名前には、愛称があります*1。例えば、「アレクサンドラ」という名前であれば「サーシャ」、「ナタリア」であれば「ナターシャ」が愛称になります。
ロシア文学を読んだり、ロシア映画を見ると、1人の人物にいくつも名前があって(わたし同様に)混乱した人もいらっしゃるのではないでしょうか。
付き合い始める前のフランス風
付き合いはじめる前のAさんは、フランスの文脈でわたしとデートをしていましたので、自分の正式な名前だけを名乗りました。わたしが、「『戦争と平和』を読んだら、ロシア人の名前には愛称があるらしいけれど、Aさんのはなんでしょうか」と訊いても、「わたしはAだから、そう呼ばれたい」と言うのでした。
調べればある程度わかる
「なるほど」と思ったのですが、惚れた弱み、グーグル大先生にお問い合わせをしてしまいした。なるほど。調べればわかるのは、ロシア語では大体、名前と愛称の組み合わせが決まっているからです。Aさんの名前には、2種類の愛称があることがわかったのでした。
あとは、どっちがAさんのお好みの愛称なのかをわかればよいのですが、付き合いはじめて電話番号だけではなくて、Eメールアドレスを手に入れてみたら、なんとそこに愛称が書いてありました。なぁんだ。
呼び捨てにするのか
さて日本語環境で育ったわたしは、Aさんの愛称が手に入ったときに悩みました。フランス語で英語環境を使っているときは、もちろん、名前は呼び捨てなのです。そうでないとヘンだからです。しかしわたしはどれだけ英語(やドイツ語)を使っても、名前を呼び捨てにすることに慣れていないのでした。
そこでごく親しい友人たちには、「『さん』づけて呼んで良い?」とお願いしていたのです。たいていは、最初は「なんで?」と訊かれますが、説明すると「嫌だ」とは言われないものです。
もちろん日本語環境でも恋人同士として付き合いだしたら、呼び捨てにするのが普通なのはわかっていますけれど、できればAさんも「さん」づけで呼びたい*2。わたしはそう思うのでした。
混ぜればいい
付き合いはじめてしばらくして、じゃあAさんもなら、ロシア語風とわたしが気楽な日本語風を混ぜてみよう。わたしはそう思い立ちました。というわけである日突然、Aさんの愛称に「さん」をつけて呼んでみたのでした。
Aさんは、「愛称で呼ぶんだ」とちょっとニッコリしたあと、「で、その謎の語尾は何」と訊いてくれたのでした。というわけで説明するわたし。Aさんは「なんだかよくわからないけれど、それが良いなら、わたしもあなたの名前に『さん』つけようと思う」と言いました。「なんだか特別な感じがしていい」とAさんは思ったのでした。そらそうでしょう。ロシア語風と日本語風を混ぜて使って、エキゾチックだと思わない人は珍しいですから。
というわけで、わたしはAさんを日本語風に「さん」づけで、ロシア語風に愛称で、呼んでいます。
開けてはならぬ話
Aさんの誕生日が迫っております。毎年、誕生日と新年*1にプレゼントを送っておりますので、プレゼントを送りたいなと思うわけです。
「今年の誕生日はなにをしようか」と考えて、プレゼントをAさんが好きなTVシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」の原作本に決めました。本はあまりに無粋だなあと思って避けていたのですが、Aさんが東京にいるときに、我が家の貧弱なインターネット環境のせいで、最終話が見られなかったことを思い出して、まあちょっとした罪滅ぼしを兼ねてこれにきめたのでした。
しかし日本から送っていては間に合いません(し、送料もバカになりませんし、そもそも洋書の価格はフランスの方が圧倒的に安いわけです)から、現地のアマゾンを使うことにしました。
アマゾンは、日本で登録したクレジットカードの決済情報がフランスやドイツのアマゾンでも使えますので、新たにクレジットカードを登録する必要はありません。ところが、日本で登録しているプライムの会員権はフランスでは使えないのです。ということは、日付指定で送付しようとすると高い配送料がかかってしまいます。「配送料が怖くて遠距離恋愛なんてできるか」と言われれば、ぐぅの音もでないのですけれど、でもフランス国内で配送を手配しているのに配送料が高いのは困るのです。
しようがないので、プレゼントは早く着いてしまうことを覚悟で、Aさん気付けのわたし宛てで送ってみました。
それが今日、Aさんのアパートに届いたのです。「なんかきた! これはわたしが開けて良いのかな」となかなか興奮気味です。しかし誕生日はまだ先です。なので返事は、「それはわたし宛てなので、開けてはだめー」とするしかありません。なんだか不満そうですし、たぶん、中身はバレているのですが、まあそれでもカタチは大事ですから*2、我慢していただきましょう。
遠距離恋愛ブログと良いこと探しの話
遠距離恋愛についてブログを書くことにしたのは、ドイツの友人の勧めがあったからです。(なのにその友人には読めない言語で書いている訳ですけれど。)
その友人には付き合いだしてすぐから、色々な話を聞いてもらっているのですが、彼女が言うことには、「君のしていることは、貴重な経験だから、自分のために記録を残した方が良い」のだそうです。
現にわたしの経験が貴重なのか、普通なのか、現在のわたしには判断がつきませんけれど、ポジティブな思い出やエピソードは残しておいて損はない気がしていますので、彼女のアドバイスに従うことにしました。
良いこと探し
書き出してみて気がついたのですが、なるべくわたし達についてポジティブなことを書こうと意識してみると、それはそれでとても良い効果があることに気がつきました。
わたし達の違いが分かる
人間が2人揃って全く同じということはないでしょう。わたし達は違う人間です。わたし達が付き合っているのは、性格や生活の共通点と相違点のバランスが取れているから、でもあります*1。
お互いのポジティブな行動パターンが分かる
ポジティブな行動をしているときは、何の問題も生じていないときなので、今なぜ問題が生じていないのかを意識することはできません。
問題が生じていると、相手を理解しなくてはなりませんので、色んなことを言語化しようとするのと、対照的なことです。
このブログは、良いこと探しをしているようなものですから、ポジティブな思い出や計画がなぜポジティブに感じられるのかを考えて言葉にできないか試しているのです。
これはとても良い練習になっていると思います。
1人でないことが分かる
ブログを書き出してみると、国際恋愛も遠距離恋愛も特殊なことではないと分かります。このことには2つ良いことがあります。
1つはもちろん孤独感が減ることです。しかしもっと大事なことは、「俺はこんな特殊なことをしているのだ」という陶酔感を相対化出来ることです。この陶酔感は非常に危険で、自分のことを特別な人間だと誤解させる原因になります。
大したことないと言うつもりはありませんが、思ったよりも普通のことなのだと思うのは心持ちのバランスをとるのに大事なことです。
誰のためか
はてなブログについて検索すると、収益化の話がよく出てきます。誰かの役に立って欲しくて記事を書くならば、確かに収益化を目指しても良いのかもしれません。しかしこのブログは、あまり読者のことを考えていません。アクセス数もこのことを反映しています。
そして読んでくださる方は、わたしの仲間だと思っているところもあります。仲間だと思う人のブラウザに必要以上の広告を表示するのも違うように思います。
しばらくはこの方針でいきます。
*1:「性格の不一致」というのは、このバランスが崩れることなのかもしれませんね。
予算について心配する時期の話
わたし達のお披露目はなかなかに物入りになりそうです。参加出来る友人たちのほとんどが1万kmの距離を乗り越えて参加して下さいますので、こちらで宿代や航空券代を補助させて頂くことはあれ、ご祝儀を頂戴する訳にはいきません。
日本の結婚情報のウェブサイトを見ると、お互いの両親の援助がある場合も多いようですが、わたし達の場合はそれもありません。
貯金がいる
ということは、頑張って貯金をしなくてはならないということになります。月に幾らかずつ予算を組んで貯金に回すことにして、淡々とお金を貯めなくてはなりません。
淡々と貯めるためには、結局、給料の振り込み口座から自動で引き落としていく方法が最適であるように思います。という訳で、証券会社の現金口座に淡々と現金を振り込む作戦で現在進んでいます。目標まで、100万円。出来れば、150万円。
予算圧縮
同時にわたし達はかかる予算を圧縮しなくてはなりません。フランスで開催するより、東京に家族や友人を集める方が確実にお金がかかります。場所代も食事代も、ご祝儀を前提して予算設計されている社会では、何をするにも予算が余計にいるようです。少なくとも、色々なウェブサイトを眺めるとそう書いてあります。
もっとも詳しいところは、各施設のウェディングフェアに出かけて、予算の概算を作ってもらうしかないようです。
とにかく予算にメリハリをつけて貯金のゴールを下げる努力はしなくてはなりません。
まだ現実的になる時期じゃない
わたしは心配がどんどん湧いてきて、少しずつパニック状態に入りつつあるのですけれど、Aさんはそういうわたしが気に入りません。Aさんは言います。
「今はアイディアを集める時期だ。予算ではなくて、やりたいことをリストしていく時期のはず。そんな時に、謎の現実感をだして、なんの役に立つのだ」
相変わらずカッコよく、何よりもっともなことです。何しろわたし達の計画にはものすごく時間の余裕があるのです。
その余裕を味方につけるなら、あまりキリキリした気持ちでいない方がいいに決まっています。
というわけで、せっかく日本でやるなら、太神楽でも呼んでパフォーマンスしてもらおうかしら……と、妄想したりするのでした。
1つ残していく話
Aさんが東京に滞在していたのが5月。わたしがパリに行くのが、8月。ちょうど中間地点に差し掛かりました。何ヶ月ごとに会うことにしても、ちょうど中間の頃がお互いにしんどい時期です。
Aさんの癖
ところでAさんは東京から帰るときに必ず何かを残していきます。作業で使って、もう要らない大量の資料のように明らかにゴミなものや、洗濯が間に合わずに洗濯機の中に残っているものもあるのですけれど*1、その他によくわからないものが必ず1つ以上残されています。
前回の滞在では、旅行用のシャワージェルとシャンプーが残されていました。なにも言われていないので、いるのかいらないのかは不明です。なんとなくもったいないので、シャワージェルはこの間のポーランド出張に持っていきました*2。
今回は、化粧を落とすクレンジングのチューブが1本残っていました。これは、次来たときに使うのかしら。悩ましいので、洗面所の目立つところに置いて、毎日しみじみしております。
これって遠距離恋愛ではよくあることなのでしょうか。案外あるのかなと思いながら、クレンジング用の化粧品の使い道を考えています。
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許すのは誰かの話
「#KuToo」の運動についての記事を読みました。「単純に『パンプスで健康被害を被る人もいるので、履きたくない人には履かなくてもいい権利をください。労働する上で男女平等の権利をください』と至極シンプルな訴えであるにもかかわらず」、議論がバッシングの方向に向かっていることについての議論でした。この記事を「もっともなことだ」と思いながら読んでいたら、議論の本筋じゃないところで、大変びっくりすることに出会いました。
長いですが、石川さんの発言を引用します*1。(下線は、わたしが引きました。)
もし、フェミニズムについて理解できない相手であった場合、とことん話し合います。
それに、私自身、昔交際していた相手へ、人格を否定するような発言をしたり、ワガママの度が過ぎた行為をしてしまったこともあって、一言で言うとモラハラをしてしまっていた経験があります。それは深く反省して謝りました。今はその彼と仲良くしてもらっていますが、過去、自分が彼に行ったことは許されることではないと思っています。誰だって失敗したり人を傷つけたりしたことはあると思います。自分の非も認めた上で、もっと社会を良くしたいと活動しているのに、潰そうとしてくる人は何なんだろうなと思います。社会活動をする人は清く正しくなきゃいけない、という意味が分からないです
「#KuToo」石川優実さんが勤務先を突き止められ退職に追い込まれても潰れない理由(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
わたしがとても驚いたのは、許すということについてです。
誰だって失敗したり傷つけることはある。そのとおりだと思います。その際、非を認めることも重要だ。火を見るよりも明らかでしょう。しかし非を認めることは、「許されることではない」こととは区別しなくてはならないと、わたしは思います。
引用文の事例では、許すかどうか決めるのは、「昔交際していた相手」の方です。そして「今はその彼と仲良くしてもらってい」て、その彼が「でもあれはまだ許せないのだ」と言うなら、それは「今はその彼と仲良くしてもらっていますが、過去、自分が彼に行ったことは許されていません」と言うことでしょう。他方で、もしその彼が「もう許したから、仲良くしましょう」と言うのであれば、それは許されないことではなくて、もう許されたことでしょう。
どちらにせよ、許したり許さなかったりするのは被害を受けた側である。そのように述べて欲しかったのです。わたしが非を認めるということは、わたしが「許されるべきかどうか」を決める権利を持たないということです。
ところで、わたしがこの発言の文脈で受けた印象が間違っているのかもしれませんが、この「昔交際していた」方は、当時のことを許してくれている(または水に流して)仲良くしているのでしょう。もし相手が許してくれたら(もしそのことを水に流してくれるならば)、どんなに後悔していても、その許しは受け入れなくてはなりません。それを「いや許されることではないのだ」と言い募ることは、許しということの基本原則にもとると思うのです。
石川さんの運動や、それについての仰りようには賛成したいと思いながら読んでいたので、びっくりいたしました。