CDG-HNDな遠距離国際恋愛日記

パリと東京。Aさんとわたし。

家族に母語が通じない話

わたし達はお互いに外国語としての英語で会話しています。英語を使う仕事をしているので、英語が下手くそで毎日の会話にも苦労するということはないのですし、わたし達のコミュニケーションの失敗はほぼ英語とは関係ない(母語で喋っている場合でもあり得るような)要因によるものです。

 

 

一方でわたし達それぞれの家族には、英語を普段使うことなく仕事も私生活を過ごしてきたメンバーが珍しくありません。日本には日本語の、ロシアにはロシア語の生活があるのです。

 

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ところが彼らの家族が海外に行き、パートナーに出会い、今、そのパートナーが家族の一員になろうとしています。

 

 

今日は家族の立場を想像してみる話。

 

そこはかとなく常にわからない

彼らの気持ちを察するに、祝いたい気持ちに少しずつ不安が混じってきているのでしょう。家族に自分の第1言語が通じない不安は、きっとじんわりとやってくるはずですから。おそらく彼らのこれからの日常生活は、一部に、そこはかとなく常に感じる「わからんなぁ」が混ざり込むのです。

「ああ、英語を勉強しなくちゃ」というのは、わたしが家族から聞く言葉です。彼らは、そこはかとないわからなさを伴う日常への準備をしようとしてくれているのでしょう。

それを聞きながら、「ありがとう」とわたしは言い、ちょっとだけ「申し訳ないな」と思います。

緊急の場合に備える

さらに想像力をたくましくすれば、ありがたいでは済まない事態も容易に想像できます。

あったら困ることですが、わたし達のどちらかに怪我や病気などがあれば、パートナーは家族との連絡を一手に引き受けることになります。この時、家族の立場からは、言語的情報やそれぞれの社会の規範がうまく理解できない場合のストレスが追加でかかることになります。

解決策は多分もうない

そういう場合に備えてわたし達が相手の家族の第1言語を習得するとしても、それにも時間がかかります。

 

 

そしてわたしがある程度ロシア語をマスターしたとしても、B1レベル程度ではわからないことが残るでしょう。それを相手の家族の立場から見れば、彼らにとって話が通じていないかもしれない不安が残ることを意味します。

わたし達の決断は、それぞれの家族に「今ひとつ分からないことがある日常」との折り合いを求める決断なのです。