法律婚にコミットすることの話
コロナウィルスが猛威をふるっています。そんな中、日本政府がチャーターした中国からの避難用の飛行機の第1便から第3便まで配偶者の退避について調整がつかなかったことについて、国際カップルのリスクの話としてブログの記事を書きました。
今日到着の第4便では調整がついたようで、中国籍および台湾籍の方の家族も退避できたようです。
新型コロナウイルスの感染が拡大する中国湖北省から、日本人らを退避させる政府のチャーター機の第4便が7日午前、羽田空港に到着した。チャーター機では初めて中国籍配偶者や子らが退避し、日本人と合わせ計198人が到着した。
ひとまず家族が離散することを防げたことを大変良いことだと思います。
法律婚でなかったら
ところでわたし達が婚約するにあたって、法律婚を選択したのは、査証と滞在許可の問題が大きかったわけです。
この地球上、わたしたちが一緒に住むにはどちらかに(場合によっては2人とも)滞在許可(在留許可)が必要になります。そして滞在許可や在留許可を手に入れるためには、おそらく法律婚をするのが一番近道になります。
Something old and blue の話 - CDG-HNDな遠距離国際恋愛日記
しかし考えてみると、法律婚をしておかないと、前回の記事で「リスク」として述べた状態の解決策からも埋もれるのではないか、という気がしてきました。たとえば、今回の退避で言われるところの配偶者は、法律婚をしている配偶者のことなのでしょうか。それとも日本で言う内縁関係や、フランスで言うPACSのような関係でも、配偶者として認められるのでしょうか*1。
法律婚をしないと家族を守れないかもしれない。その状態をわたしはあまり良いものだと思いません。家族のかたちを1つに縛ることに合理的な理由はないとも思います。一方で、わたし達の生活は現実のもであって、ある種のプラグマティズムを行使しないとなりません。そしてわたし達がプラグマティックになると、法律婚を支える制度の側に与することになるのです。
わたしが大切に思う人と一緒にいるために、わたしの立場から見ると必ずも合理的ではない制度に、現実の問題としてコミットすること。このことについて、わたしはまだ答えが見つけられていません。