CDG-HNDな遠距離国際恋愛日記

パリと東京。Aさんとわたし。

「純」の話

ある芸能人の方のパートナーについてニュースになっていて、思わず読んでしまいました。というのもその方はブラジル人の方との国際カップルだというのです。「それはどういう感じかしらね。うちと似ているのかしら」と思ってクリックしたのですが、どうもそういうことについては書かれておりませんでした。

しかし期待と違って書かれていたのは、どうもその芸能人の方のパートナーの方が「ハーフ」だという噂が流れているが、それをテレビで見たパートナーの方が「違う」と仰って、「純だから」と仰るという流れの番組構成だったということでした*1

この記事を読んでいて引っかかったのは、「純」と「ハーフ」っていう表現です。「純」という表現はとても危険な表現ですし、危険な考え方です。メディアに出ている人が、「純」とか「ハーフ」という言葉を振り回すのは、かなり頂けません。

純ジャパ

とても気持ち悪い表現ですが調べてみると、例えば「純ジャパ」という表現は、割と人口に膾炙しているようです。はてなブログにも「純ジャパ」という単語の入ったブログがあるようでおすすめされたりしておりますし、なんと、google日本語変換は、「junja」まで打ったところでちゃんと変換できてしまいました。

ちなみに学校関係の場所だと*2、「純ジャパ」と呼ばれるのは、

  • ハーフではない
  • 帰国子女ではない

人を指すようです*3。そしてこの「純ジャパ」という表現を使うのと同じ気持ちで、ブラジルの方を「純」だとよんだのかもしれません。

問題

「純ジャパ」という考え方は多くの問題があります。まず、「純ジャパ」が想定しているような、「ジャパ」なるものは妄想です。「日本は単一民族の云々」ということを想定するなら、端的に事実と異なることを考えています。

「ジャパ」なるものが妄想なのを無理やり措いておくとしても、「純」ということに、ポジティブな意味合いを見て取るならば、「純ジャパ」という考え方にはとても人種差別的な考え方が潜んでいます。その観点からは、「ハーフ」という考え方はそもそも大問題です。

さらにそれを無理やり措いておくとしても、「ハーフ」であることや帰国子女であるから何が違うのでしょうか。家族の出自や教育上の背景は、個々人の生活に影響を与えます。でも薄口しょうゆを使う文化からやってきた人を「薄口」と呼んで区別することはないでしょう。

純ジャパという区分はやめようぜ

わたしは「純ジャパ」という概念がなくなることを希望します。「純ジャパ」という表現を狩りたいのではなくて、そもそもそういう区別をやめようと提案したいのです。上で書きましたけれど、

  1. 「純ジャパ」、「ジャパ」なるものは妄想だし
  2. 「純」なるものが示唆するポジティブさはちっともポジティブじゃないし
  3. 「純ジャパ」と「ハーフ」の区別が示唆する違いは、意味がないのです。

このことを認めるならば、無駄な区別を導入する理由はないのです。

*1:ちなみにその記事に、「サンバ上手なの」とという反応がスタジオであった旨書かれておりましたが、そういう好意的な偏見については、またちゃんと書かないといけません。

 

cdghnd.hatenablog.com

 

*2:英語のトレーニングの観点から、「純ジャパ」という概念のネガティブな含意について考察したブログがありました。

 

この言葉は純ジャパ「なのに」英語が喋れる、とか純ジャパ「でも」TOEIC900点とかいう文脈で使われていることが多いです。 こういった文脈で使われていることを考えると、「純ジャパ」というのは日本語以外の言語はできないという前提で使われていて、さらにその状態を卑下している感じがするんですよね。 つまり、「純ジャパ」というだけでなんだかネガティブな印象がある。

純ジャパって言葉が嫌い - 常に学生でありたい

 

「純ジャパ」という言葉が学校関係で使われる際には、英語へのコンプレックスというのは確かにありそうです。「ハーフ」であることや帰国子女であることと英語の関係については、いつか記事にしたいと思います。

*3:わたしはしたがって、「純ジャパ」とは呼ばれないのでしょう。