言わないことの話
フランスの深夜、Aさんから記事のリンクが送られてきました。
「変な記事だけど、面白いから読んでみたら」と言って、Aさんはベッドに行き、わたしは真夏の蝉しぐれの中、ロシア語についての偏見についての記事を読むのでした。
ナズダローヴィエ
タイトルが「ナズダローヴィエと次に言うやつ、見つけて殺してやる」というなかなか刺激的なものなので読んでみました。

趣旨は、ハリウッド映画のせいで、「ナズダローヴィエ」という乾杯の代わりを言う人がたくさんいるが、そうはロシアでは言わない、ということでした。なるほど。ロシア語には、「乾杯」という一語で言える単語がないんだそうです。
ではロシア語ではどうするのか。「ロシア人の友人に訊いてみろ」と著者は勧めます。
Instead, try to ask your Russian friends and acquaintances what they like to say amongst their nearest and dearest, and just use that. It’ll usually be one of two things: either everyone just mumbles: Nu che? Davayte! (“Well? Let’s do this!”) or Poyehali (“Let’s go/move!”), or something humorous pertaining to the history of that specific group of people.
OPINION: Next person to say "Nazdrovye" - I will find you. And I will kill you - Russia Beyond
「さて、やりますか」って始まるのは、ちょっと素敵で笑えますね。
で、Aさんはなんて言うのよ
本当に言わないんですかね。そう訊いてみるとAさんは、「うん」と答えます。
そういえば、Aさんは乾杯するときは、「乾杯」って言うよりも「小さなスピーチをして」と言います。ロシアでは、乾杯は個人的な挨拶で行うもののようです。
でもさ、乾杯って単に言いたいときはどうするのでしょう。Aさんは、待ってましたとばかりにわたし達の間のお気にいりのダジャレ(らしいのですが)を言うのでした。

韻を踏んでいるこの乾杯を教えてくれたのは、わたし達の共通の友人(パリ在住でロシア語を勉強していたドイツ人)でした。それがいたく起きに召したAさんはしょっちゅう、これを使うのでした。
わかったような。わからないような。でもAさんが楽しそうですからいいのです。
悪気のない偏見

こういう映画やテレビでみるけれど、現実には絶対に言わない・やらないことは、しばしばあって、それが悪意のない偏見となって生き残ってしまうことがあります。
例えば、日本関係でいまだに時々見かけるのは、手を合わせてお辞儀する人です。まったく悪気がないとわかっていても*1、それをする人はいないし、なんというかその偏見は残念なものだ。わたしなどはそう思います。
「悪意がなくても偏見なのだ」と鼻息あらく抗議するほどのこともないけれど、じゃあ放っておきたいかというとそうでもない。そういうものについて、わたしはどうすればいいのか。わたしは親しければ、「そんなことする人はいませんぜ」と正直に言うことにしています。それが正解なのかもわかりませんが。
実に悩ましい。
*1:明らかにバカにしてやっている人はすぐに分かるものです。