相手の興味関心事を自分の関心事にする話
先日同僚と話したことを反芻する今週の後半です。
相手の関心事を自分の関心事にする
中でもしみじみとしたことが、「あなたのパートナーが日本に住むことになったら、あなたは、相手の関心事をすべて自分の関心事にしなくてはなりません」と言われたことでした。それなんぞという顔をしていたのでしょう。話は簡単なことから始まりました。
「病院に行くでしょう。あなたのパートナーの持病や、婦人科関係のことがらについて、日本語で理解していますか。」なるほど。それは理解しておいた方がいいですよね。「日本語で理解したら、それを全部英語なりロシア語なりにできますか。」たしかに、理解しただけじゃ足りないですものね。
「彼女の趣味についてはどうですか。彼女の好きなことについて日本語で理解していますか。それをすぐさま英語に直せますか。例えば、わたしは花が好きですけれど、わたしの夫は最初のうち、街で見る花について何もしりませんでした。これではダメなのです。」なるほど。好きなことを続けたければ、わたしの趣味だけじゃなくて、相手の趣味にも興味を持つ必要がありますね。
同僚はさらに言います。「どこに行けば、ロシア語をしゃべる人の良いコミュニティがあるか知っていますか。そのコミュニティの雰囲気が、あなたのフィアンセに合うかどうか知っていますか。」……だんだん難しくなってきました。敵を知り己を知れば百戦危うからずと言ったり、言わなかったりしますが、敵も味方も自分もいっぺんに把握しないと危うい戦いになりそうです。
生活は続いていくこと
「17年やってるけれど、国際結婚は簡単じゃないですよ」と同僚は言います。たぶん、とても正直な感想なのだと思います。そして想像するにその難しさのひとつは、彼女が日本に来る前の生活を途切れさせないことの難しさにあるのではないかな、と思います*1。
Aさんとわたしがどこに住むにせよ、どちらかは(もしかしたら両方が)全く知らない場所に住むわけです。そのストレスを解消しようにも、ストレスを共有したり解消したりできる場所もわからないし、自分の好きなことをどう表現していいかもわからない。それでも生活は続いていくのです。
結局、生活を続けるために必要なインフラの1つにパートナーはならなくてはならない。そういうことなのかもしれません。
*1:これは国際結婚にだけ特有なことではないのかもしれませんけれど、国際結婚に伴う国際移住だとよりショックが大きいことなのではないかと思うのでした。