このブログの行き先の話
しばらく前の話ですが、はてなブックマークを眺めていて、こういう投稿をみつけました。
妻が自分の書いてる漫画が書籍化されるかもしれないと告げてきたことで、自分たち夫婦のことがツイッターで漫画にして流されていたことを知った。
読んで頭の中が真っ白になった。絶望とはこういうことなのかと思った。
こちらにも言い分がある喧嘩について、妻側の一方的な言い分で書いたことは腹が立つがまあいい。
俺が発達障害であることを、勝手に書いたことは許せないことの一つだ。
でもそれ以上に、妻にのみ話した感謝の言葉や、愛の言葉も全部漫画にされてたことは絶対に許せない。
そして、ずっと抱いてたトラウマを、妻にだけ初めて語ったことを、漫画で夫婦愛として描かれて多くの人の目に晒されたことは、絶望しかない。
この気持ちはよくわかります。書いていた方の気持ちもよくわかりますし、書かれた方の気持ちも想像がつきます。「ポジティブなことだから良いじゃん」というのは、言い訳にならないというのは、もっともなことです*1。
このブログもAさんの反応(の要約)をしばしば載せていますので、Aさんがどう思うかちょっと(というかだいぶ)気になります。特にいま弱っているところなので、不安で不安でしようがないのです。
実は一時期2人共同でなにかやってみようぜということで、英語でブログを書いていたことがあるのです*2。なのでブログを書くこと自身には、Aさんは抵抗感がないようなのですけれど、それでも、Aさんが(まだ)読めない言語で勝手に全部書いていることが良いことなのか……。
Aさんがわたしについて公開の場でロシア語でなにか書かれていたらどうだろうか。「人にされたら嫌なことはするな」と教わったわたしは思ってみます。その結果、「まあ案外構わない感じがするな」とは思うのです。しかしわたしとAさんは他人ですから、わたしが平気なことがAさんにとってもそうだとは限りません。
このブログは結局どこへ向かうのか。Aさんに半分内緒なまま(もしくはAさんには理解できない内容のまま)続いていくのか。それとも、Aさんに毎回要約を届けるのが良いのか(例えば脚注に英語の抄訳をつけておけば良いのか)。悩ましく感じます。
一度どこかでAさんと話しておかなくてはなりませぬな。