文化? 環境? 個人?
わたし達は、intercultural なカップルと言えると思います。わたし達は別の国に生まれ、別の母語を喋り、別の文化圏で育ちました。だからこそ、このブログは遠距離恋愛だけでなく、国際恋愛についてもテーマになるわけです。
違和感
しかしこのテーマ設定にしたことは、正しいことだったのかしらとも思うこともあります。
普段Aさんと話しているときには、「我々はずいぶん違う人間だなあ」と思うことはあっても、「Aさんは文化背景を共有していないのだ」と思うことはないのです。
どこに違いがあるのか
現在いる文化の共有
まずわたし達は職業的文化を大部分共有しています。実はAさんとわたしは職業的にも近いところにいます。そしてその職業に至る道のりも割と似た背景にいます。さらにわたし達の職業は、割と国際的に標準的な考え方(マインドセット)を共有しているところもあるので、わたし達は日常生活についてかなりの部分について「話せばわかる」環境にいます。
違いはあるけれどそれは文化なのか
ブログ書くときに、Aさんの故郷をあまり名指さないのは、わたし達の違いがどの程度文化的背景のせいなのかわからないからです*1。Aさんも「あなたが理解できないけれど、それがあなたが日本人だからか、あなたが変わっているからかよくわからない」とよく言うのですが、それも似たような感覚ではないでしょうか。
争いごとの安い言い訳としての文化の違い
文化の違いは大掴みに理解できそうな要因ですから、しばしば相手と衝突が起こったときに、衝突の原因を文化の違いのせいにしたくなります。
わたしの知り合いにも、きっぱり振られたモヤモヤを「ナニナニさんは日本人だからわからない」と表現したことがありました。ここまでしょうもない事例は少ないでしょうけれど、intercultural な恋愛をしてこの罠にハマったことのない人はほとんどいないのではないかしら、と思います。
でも言うまでもなく、これもあまり生産的でない対応の仕方でしょう。人が2人いて、分かり合えないのは普通のことで、その原因に文化を持ち出したところで、何も説明したことにはなりません。
実際にカナダについてインタビュー調査したサンダース宮松敬子『日本人の国際結婚―カナダからの報告』にも、カウンセラーの言葉として次のように出ています。
「国際結婚の場合は、問題があるのは自分たちのせいではなくて、文化や言語の違いがあるからだと結論付けると楽になれるからこそ、そこに気持ちを持って行かせることが多いんですが、日本人夫婦にも似た問題は起こります。でも彼らは言語、文化の違いのせいにできないので、性格や育ちの違いなどを理由に決着させるのです。」(p. 50)
これは割と真実だと思います。
無視はできないけれどわたしには切り分けられない
しかしもちろんわたし達の違いの大きいな要因は、育った環境の違いにあります。そしてそれぞれの環境は、それぞれ文化と呼ばれるものに(少なくとも部分的に、それでも不可分に)結びついているのです。だからこそ「Aさんはきっと故郷の人々の典型とは違う」とは言いつつも、文化の違いを無視できるとは思えないのです。
それでもわたしには、文化的要素を切り分けて「Aさんはロシア人だから」と言うことがなかなかできないのです。
*1:ところでよく海外から来た人を迎えては、「日本ではあれはする」だの「日本ではこうはしない」のように言う人がいます。
けれど、わたしが変わっているからか、わたしはほとんどの場合、「こうするものだ」とおっしゃることを知りません。というわけでそれを横で眺めているわたしはしょっちゅう「それはお宅だけではございません?」と思うのです。