CDG-HNDな遠距離国際恋愛日記

パリと東京。Aさんとわたし。

よかった!の話

ブログ更新をお休みしている間に色々展開がありまして、おそらくAさんは東京に引っ越してくることになりそうです。2021年の予定なので、まだまだ先すぎて鬼も笑わないのですけれど。

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今回はそのことについての反応の話。

「よかった」

報告した方は、一様に大変喜んでくださってありがたいことです。わたし達2人を知っていて一緒に住めることを喜んで下さる方、わたしの友人としてわたしが東京を離れないことを喜んで下さる方……喜び方はさまざまでしたけれど、皆さんに喜んでもらえてなかなかに良い気持ちになりました。

ありがたいことです。この決断が良いものになるように努力しないといけないですね。

本当に「良い」決断なのか

この先は自分たちの努力次第。それは分かっているのですけれど、それでも不安の声は聞こえてきます。

中立地点を失う

Aさんが理解できないのに、わたしが母語環境にいられる言語圏で2人で住むということは、わたしが圧倒的に有利な場所で住むということです。これまでは割と国際都市パリという割と中立な場所で知り合って、そこを2人の生活の拠点に据えてやってきましたけれど、この中立地点が生活から切り離されることになります。

これはおそらくカップルの間に大きな断絶を生む可能性のある変化であるように思います。

新たな言語を学ぶ必要がある

パートナーの母語を学ぶというのは、非常にストレスがたまる作業です。努力の量に対して、報酬が少ないのです。なにしろいくらやっても、結局、パートナーのようにはしゃべれないからです。

実際は語学はコミュニケーションを取るためにあるのであって、母語話者のようにしゃべることは、決して、語学学習の目標ではないのですけれど、わりとそういうことを語学教育では教えがちです。

日本語のインターネットでも、割と見かけますでしょう? 「ネイティブに通じない発音」「ネイティブが絶対言わない表現」云々。ほんとうは、母語話者が「発音が不自然」というのは、コミュニケーションを拒否する態度で、母語話者に責任があります。対話相手とそんなところで「勝負」して、「勝った」気がするなんて気持ち悪いと思います。

この状態は正しくなくても、そういう態度で非母語話者に接する人は減らないわけですから、「パートナーもそう思っているかもしれない」と思う日は来ると思うのです。そういうとき、パートナーは謎の権威をまとうことになります。

依存関係が生じる

特に(生死に関わる)日常知識のレベルで、力の差がでてしまうのではないか、とわたしは不安になるのでした。たとえば病院で自分の状態を、プライバシーを保って、専門家に相談できないというのは、間違いなくストレスになるのではないでしょうか*1

結局これって2人の課題だ

これが解決できないと共同生活が良いものにならないと思うのは、もしかしたら違うかもしれません。どのカップルもそれぞれ課題を抱えていて、わたし達のも(割と特殊な課題かもしれませんけれども)まあそういう課題なのかもしれません。黙々と解決していけばいいのであって、わーわー書くことでもないのかもしれません。有利だとか不利だとか考えていることも本当は生産的ではないですし、そもそも「一緒に住む前から心配ばかりしてもしょうがない」と言われるかもしれません。

それでも数えられる限り、うまくいかないとAさんに負担がかかりそうなものばかりで、わたしは恐れおののいています。

この一文が書ければ、今日のブログはこのブログの役割は果たせました。なにしろ少しずつこういう不安を書いておかないとやってしまいそうです。書いてあっても、ミスをおかす日が来ると思うので。

 

*1:そのストレスに比べれば大したことはありませんが、ここでわたしはカナダ人の同僚(にして国際カップルの先輩)の言うことを思い出します。

 

cdghnd.hatenablog.com

 

前回のブログには書きませんでしたが、彼女は言いました。

「あなたは、たとえば、婦人科系の疾患について日本語で知ってますか。それを正確な英語に訳せますか。しかもその場で訳せますか。そういうことを全部自分のこととして知っていますか」

婦人科系の疾患……たしかに知らないです。そしてたしかに、それ知らないと場合によっては自費診療の病院でも行かない限り、治療ができません。しかもそれらの用語や、Aさんの日常の服用薬をすべて日英露で把握していないといけないわけですか……いや、いけないでしょうね。