CDG-HNDな遠距離国際恋愛日記

パリと東京。Aさんとわたし。

パートナーを悪く言わない友人たちの話

欧州に住んでいた頃に気づいたことなのですけれど、パートナーを悪く言わない人々と会っていると、ラクです。

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パートナーを謙遜しない友人たち

最近、お目にかかる人は、パートナー(や家族)について大事にしていることを自然に表明してくれる人ばかりでとてもラクな気持ちでお目にかかれます。別に、わたしの友人たちはわたしをラクな気持ちにするためにあるわけではないのですけれど、それでもわたしも自分を守らないといけませんので、会うたびにシンドイ気持ちになる方とは、少しずつ疎遠になります。

こうしてわたしの周りに残る人は、ドイツでもフランスでも日本でも、パートナーのことを理由なしに悪く言うことのない人ばかりになり、わたしも彼らから学んで今は自分以外を謙遜しない習慣が身についたように思います。

 

他人についての謙遜は美徳ではない

謙遜は、自分については美徳でしょう。しかしパートナーは他人ですから、パートナーについての謙遜は美徳ではありません。このことに気がつくのにわたしは時間がかかりました*1。そのために長いこと目の前の人に感じる居心地の悪さが、目の前の人が使用する間違った「謙遜」(または照れ隠し)のせいであることにも気づきませんでした。

その居心地の悪さの要因は、つづめて言えば、こういうことになります。

結局他人を自分のことのように「謙遜」してみせる人は、わたしに興味がないか、興味があるので悪く言うかのどちらかにしか映らない。

わたしは隠されてしまった「照れ」を読み取るのが苦手ですので*2、わたしの目の前の人が、その人のパートナーや家族を悪く言うと、まずは「この人は問題を抱えているんだ」と思いながら話を聴くようになってしまいます。そしてそれがしばらくして、「ああ違ったんだ」となったときに、なんとも言えない悲しさを感じるのです。その悲しさを処理するために、「この人は、大事だと思う人についてすら、こういう風に言うんだから、きっとわたしについても他所でひどく言っているのだろう」という気持ちに進みます。そしてそれを否定するために、「いやいやこの人は、そもそもそんなにわたしに興味がないんだ」とまで思えば、居心地がとても悪い状況の完成です*3

問題があるなら共有したい

しんどいのは、パートナーがいて、その人と平常運転で一緒に(近距離だったり、遠距離だったりしながら)生活していて、その状態でパートナーを悪く言う人と時間を過ごすことです。

わたしが言いたいことは、パートナー同士の間に問題がある人といるのは嫌だということではないのです。問題がある友人たちが問題について語るのは歓迎なのです。わたしだって、一緒に悩んだり、怒ったり、いたします。でもそういうことをするためには、普段、問題がないときに相手を悪く言わない習慣がないと、わたしはただただ困惑するだけなのです。

 

 

*1:気づかなかったくらいですから、わたしも同じミスを重ねてきた訳ですけれど、結局自分のパートナーを友人の前で下げて言うことには何のポイントもありません。自分のパートナーについて謙遜して喋ってしまうことについては、この間書きました。

 

cdghnd.hatenablog.com

*2:これはわたしの欠点ですので、申し訳なく思いますけれど、それは別の話です。

*3:ちなみにわたしはあまりモテませんので、何年にも渡って、好きな人ができては振られるというフェーズがあったのですが、そのような時期にこのような居心地の悪い友人と一緒にいるとてきめんに自分が不安になりました。「自分はパートナーがほしいが、パートナーができたら、きっとその人もわたしのことを悪く言うのだ」と考えさせられるのは、悲しくつらいものです。