割合の話
パスポートの審査強化の期間が始まるようです。なりすましによるパスポートの不正取得を防ぐために本人確認を厳重化するのだとか。
そんなことが事件として起こっているのだねえと思いまして、記事を読んでみました。
過去5年間に把握している旅券の不正取得数は、2015年が10冊、2016年が8冊、2017年が10冊、2018年が10冊、2019年が8冊あり、他人になりすまして不正取得された旅券は、不法な出入国、他人名義での借金、振り込め詐欺などの犯罪に使用するための携帯電話契約や銀行口座の開設に悪用されるなど、さらなる犯罪被害につながるおそれがあるという。
パスポート、なりすましの不正取得が2019年は8件。2月20日~3月5日は審査強化期間、本人確認を厳重化(Impress Watch) - Yahoo!ニュース
2019年の不正取得は8冊だそうです。
ここでふと立ち止まりました。以前パスポートの取得数の話書きましたよね。
あのとき調べた旅券統計の数字では、現在のパスポート発行数は400万冊あまり。つまり不正取得の割合は、0.0002%ということになります。
もちろん不正取得はいけないことでしょうし、不正取得された身分証が犯罪に利用されることはありうるでしょう。ただ気になるのは、50万冊の1件の割合で起こる犯罪に対する対策を大々的に講じることにどういうポイントがあるか、ということです。極めて例外的といって良い事案を、「撲滅するのだ」ためにどれだけのコストをかけるのか。さらに「さらなる犯罪被害につながるおそれ」ということは、実際にそういう事案があったかどうかはちゃんとは公表されていないわけですね。
一方でパスポートは、一番基本となる身分証明書類の1つです。そして国が直接発給している身分証明書類としては、おそらく唯一でしょう。その書類の取得のための障壁をあげることの難点とバランスが取れているのかしらね、と不安になるのでした。
そういえば、わたしのパスポートはそろそろ有効期限が1年切るはずですから、もう少ししたら書き換えないといけません。
「Weddingとは呼ばない」話
(Note: Ok, A-san, I don't think this post can be translated well in Google translation because it is about translation itself. Sorry)
会の呼称
わたし達の小さなお披露目をわたしは「Wedding」と呼ぶことが多いのですが、Aさんはそのたびに反対します。「わたし達は、『wedding』をするんではない。ちょっと豪勢なお昼ごはんを、家族友人を呼んでするだけである。せめてこれは『reception』と呼ばれるべきである」と。
なるほど。そう言えば、日本でやるからにはわたしたちは法律婚の部分は公開しない(し、婚姻届の記入手続きを公開するのは無理がある)んでしたね。
それにこのブログでも気づいたら「披露宴」と呼ぶよりも「お披露目の会」というまどろっこしい呼び方が多いわけですから、たぶん、わたしもこれはいわゆる「ウェディング!」という感じではないと意識しているのでしょう。
合点がいきました。
なんて翻訳するのかしらね
さて来月、わたし達のイメージする感じをミーティングで伝える必要があるわけです。なんて言えばいいのかしらね。
調べてみると「食事会」というタイプの宴席をする人が少なからずいらっしゃるということがわかりました(正確には、そういうタイプの宴席をオーガナイズしている場所がいっぱいありました)。なるほど。「食事会」って言うのはいい響きだな。楽しそうに、みんながご飯を食べているのはいいことだと思います。それにわたし達は特になにかエンターテイメントを提供するわけでもないですから*1、その意味でも「食事会」ですね。
ただ会場の気持ちとしては、「食事会」というのはごく近い家族だけが揃って、会食をする感じのようです。そういう感じではない。じゃあ、わたし達の会は「大きめの食事会」というイメージが正しいのかしら。ただ形容詞がついていたり、形容詞に微妙な限定がついていたり、言葉の座りが悪いです。
一方で、「うたげ」とかいうとお座敷列車みたいですし、そもそもわたしの偏ったイメージでは宴だとすると誰かがいきなりお祝儀で「高砂や」をやらないと締まらないのです*2。そういう意味では、うちの親戚みんな不調法だなとか思ってしまうので、「うたげ」はやめましょう。
「懇親会」というのもありますが、これはだいぶ仕事っぽい。わたしの仕事だと、メインの会議のあとにやたら懇親会があるんです。名詞とお世辞が飛び交う会になりそうで、ちょっと違うんですよね。(ちょっとじゃないか。)
とはいえ、日本語で「レセプション」は受け付けしか意味しないですよね。会場の方に「レセプションがしたいです」って言ったら、まちがいなく、「受付はわたし達の方で手配します」の意味にしかなりません。
ああ、わたし達のお披露目、なんて名前なんでしょうか。
バレンタインの話
今日はバレンタインデーですね。男性のわたしは、日本に住んでおりますので、Aさんからのチョコレートを期待していますが、もちろんAさんがそういうことなど(たぶん)知る由もなし。
というわけで今年も「ぐぐってみてよー」ってメッセージしました。分かってます。ちょっとあからさま過ぎますね。でもなんか寂しいじゃないですか。調べてくれれば、チョコレートはこないでしょうけれど、なんか言ってもらえるかしらね。ふふ。
そういえば、1月にロシアのチョコレートを頂きましたので、それを我慢して今日までとっておけばよかったですね。
もちろん、美味しく全部頂いてしまいましたので、ひとっつも残っていません。悲しみは深いです。ちなみに、こっそり訊いてみましたところ、Aさんのところにも1つもないそうです。とはいえ希望はまだあります。
「でももう少ししたら、ロシアから友だち来るから、チョコレート頼んでおくね」
だそうです。
さてさて、わたし達にとってもっと重要な日が近づいています。国際女性デーです。単なる重要な日ではありません。ロシアでは祝日です。
去年頑張ってしまいましたので、今年も頑張らないといけません。フランスでは平日ですから、どこに何を送ればいいか悩みます。
家族と会う話
ここ数日拝読しているいくつかのブログで、国際結婚と義理の家族との関係についての悩みが書かれていました。みなさん、結婚されてパートナーの住む地域に引っ越していかれた方でした。
わたしはここで立ち止まります。
この「結婚に伴って、相手の本拠地に乗り込む」人はわたし達の関係では、Aさんです。
ということは、Aさんがわたしの両親や兄弟とどういう関係になるかを想像しながら読み返さないといけないということになります。もしかしたら(もしかしなくても)わたしの家族は、Aさんにとって最良の味方になりえるし、最悪な悪夢にもなり得るわけです
*1。
来るたびに会っている
幸いAさんが来るたびに、わたしの家族もAさんもお互いに会ってくれます。会うことを提案してくれてもいます。
きょうだいで会う
Aさんが言うことには、わたしのきょうだいと会うときは、毎回、楽しい時間を過ごしているそうです。
Aさんだけでなくて、わたしたちのきょうだいのパートナーもいることがおそらくいい方向に働いているのでしょうし*2、毎回ちょっと変わったところで会っているイベント感もちょうどいいのでしょう。
両親と会う
一方でさすがにわたしの両親と会うときには、Aさんはめちゃくちゃ緊張しているようです*3。そら、毎回、わたしの両親の家で会って食事をするのに緊張しないわけないな、と思います。というわけで、わたしの両親の家に行くときは、最大2時間で帰宅することにしています。それでもAさんはたいてい食事のあとは「思ったよりずっと楽しかったから、もうちょっといればよかったな」と言ってくれます。
もちろん、Aさんがわたしに気を使って、そう言ってくれる可能性を考えないわけにはいきません。意識的にそうしていなくても、無意識でそうしている可能性もあるわけです。
今回もわたし達は両親の家に行くつもりで予定を組んでいます。しかしもしかしたら、一回くらいどこか中立の場所で会う方が良いのかもしれません。だから緊張しないというわけでもないでしょうけれど、その方が楽なのかもしれません。
日本に越してきたら
今でも大変なのに、Aさんが日本に越してきたらどうなることでしょうか。おそらく状況は簡単にならないのかもしれません。
Aさんとわたしがうまく乗り越えられるように、考えなくてはなりません。考えて行動しなくてはなりません。
最近拝見したブログを拝見して、そう思いました。
ドライブの話
Aさんとドライブに行きたいのです。
フランスにいるときは、ちょっと遠出してロワールの古城を見に行きたいですし、日本にAさんが来る場合は山中湖から見る富士山を見せたいのです*1。
日本でのドライブとAさん
ところが日本でドライブに出かけるのは、むずかしいようです。なぜならAさんがロシアの運転免許しかもっていないのに、「ドライブするなら、わたしも運転できなきゃイヤだ」と言うからです。
ロシアの国際免許証
ロシアで発行される国際免許証は、残念ながら日本では有効ではありません。実は国際免許証に関わる条約は2つあって、日本とロシアでは別の条約を批准しているのです。正確には、ロシアは日本が批准しているジュネーブ条約と、日本が批准していないウィーン条約をどちらも批准しているのです。しかし、
ロシア連邦はジュネーブ条約(1949年)に加盟していますが、ジュネーブ条約に基づいた様式で国際運転免許証を発行していないので、ロシア連邦で発行されている国際運転免許証は日本では有効ではありません。
Aさんは運転できないのでドライブデートは禁止
というわけで、Aさんは国際免許証の発給を受けたとしても、日本では運転できないのです*2。
しかし運転に自信があるAさんは、ドライブに行くならどうしても運転したいのです。運転していないときに車に酔いやすいという体質の問題もありますし、「あなたよりは、わたしの方が絶対運転うまいはず」だそうです。
「運転できないなら、ドライブデートはイヤだ」とAさんが言いますので、わたしは毎回提案を拒否されるのです。くぅ。
音楽というかラジオ
「ドライブと音楽」というお題なので、最後に音楽について書きますが、わたしは実はSpotifyのような音楽だけが流れている状況で運転したことがありません。そして実際に、音楽だけが流れている状況で運転したいともあまり思いません。
同乗者がいないときは、ラジオがいいですね*3。それもAMラジオ。普段聞かないような、だらだらしたおしゃべりが流れていると非常にリラックスします。
同乗者がいる場合は、同乗者とどうでもいいことを喋りながら運転したいと思います。同乗者が寝てしまってもあまり気になりませんが、起きているなら音を出していてほしいなと思います。
*1:もちろん他にも、見に行きたいものはたくさんあります。例えば、久しく行ってない袋田の滝や那須の折衝岩、以前でかけた日光も車を使えばもっと色々見て回れるでしょう。
*2:ちなみに、Aさんが日本に移住した場合、ロシアの自動車免許からの書き換えには、ペーパーテストと運転の実技試験が課されます。
外国で取得した運転免許証を日本の運転免許証に切替えるには 警視庁
費用は書き換えの方が安いですが、おそらく、試験の通りやすさから言って、自動車教習所に行ったほうが手続きが速い気がします。ただ、Aさんは嫌がるだろうなあとは思います。
*3:たまにテレビを流しながら走っている人がいますけれど、あれはちょっと邪魔そう。でも同乗者がテレビ好きならしようがないのかもしれません。
そこにある差別の話
フランクフルト在住のTAUさんのブログを拝見しました。
私たちが地下鉄に乗り込んだ後、12~15歳くらいの白人のティーンエイジャーが乗ってきました。 彼らは私たちの顔を見るなり、「咳をする真似」をして、さらに「コロナ」という単語を残して車両を移動していきました。 余りにも唐突で、何が起こったのか分からなかった。。 数秒して、私たちに向けてされたことなんだなと理解しました。 急に体が熱くなりました。。 さらに私からは死角にでわからなかったのですが、妻曰く、その様子を見ていた高齢の夫婦が、私たちを見てニヤニヤ笑っていたそうです。
【人間の絆は強いはず!】コロナウィルスと人種差別 - 妻が駐在になりまして ~主夫ブログ~
ドイツで教育を受け、ドイツを第2のふるさとと思うものとしてとてもつらい記事でした。もちろんわたしはドイツを代表するわけでもないですし、わたしがなしたわけではないことについて謝ることもできませんけれど、それでも辛い記事でした。
TAUさんとご夫人のことを思っています。欧州のアジア系のコミュニティのことを思っています*1。
わたしはドイツやパリ(そして、それ以外の国々)の生活を(非常に親しい友人に対しての場合を除いて)悪く言わないように心がけています。そのことがときどき「あなたは幸せな生活を送ったんですね。幸運でしたね」という反応につながることがあります。実際に全体として、わたしは友人達に恵まれていましたし、彼らが見えない保護層になってわたしの生活は非常に安全なものでした。
もちろんわたしは、ドイツでも偏見や差別に直面しました。特に、3.11のあと、極右政党AfDの躍進の時期には、こちらも敏感になっていましたので非常に辛かったのを覚えています。しかしわたしは、ある属性やコミュニティを押しなべて偏見を押し付けることを拒否するように、愚か者が持つある属性やコミュニティを押しなべて一般化することも拒否したいと思います。
幸い、わたしは彼らが例外的な愚か者であることに確信が持てる環境にいることができました。多くの人がそういう状況にあるわけではないことを知っていますので、わたしは非常に幸運だったのでしょう。
またわたしはこれが「ヨーロッパの問題」ではないことも知っていますし、わたしがいつでも正しい側にいたわけではないことも知っています。高校時代に総武線の中で、直面できなかった差別的事件を覚えています。酔っ払った愚か者が、アジア系の方に非常に差別的な言葉を投げかけているとき、わたしは恐怖で介入できませんでした。このことをわたしは、今でも恥じていますし、次はなんとかうまいこと介入できないだろうかと考えています。
差別的な言辞を弄する者は、そこにいます。わたしはその人がわたし達の言語をハイジャックすることを拒否したい。そう思います。
*1:わたしはこの記事で、コロナウィルスに罹患している方へのお見舞いの言葉を書かない決心をしました。彼らへの気持ちをこの話題に混ぜて書くことは、彼らへの尊敬を示すことにつながらないと思うからです。
連絡を取る話
Aさんが春に東京に来るタイミングでお披露目の会場の候補をいくつか周りたいなと思っています。航空券を取りましたので、2人で目星をつけた場所に連絡を取り始めているところです。
会場の目星をつけるにあたっては、インターネットで検索したいくつかの場所にお願いして、予算の概算を送ってもらっておりました。
2週間の滞在期間中に訪問できる数は限られていますので、資料を頂いた場所に全部回れるわけではありません。ということは数を限らないといけないわけです。当然ですが。
やはり資料をくださいとお願いしたときに、びっくりさせられた場所はこういうときにそっと候補から外れていきますね。例えば、何度もお願いしないと概算を出してくださらない場所だと、不安で相談にもいけないわけです。
もちろん「ここは良さそうだなあ」と思う場所だったり、「ここは美味しそうだなあ」と思う場所でも、いろいろな事情を勘案すると実施が難しかったりするので、資料を頂いて見学にいけない場所がすべて「なんじゃこれ」って思ったわけではないのですけれど。
「英語できます」
わたし達が「第二候補だな」と思っている場所はアメリカ資本の場所ですので、おそらく、英語をしゃべる方がどこかにはいらっしゃるだろうと思っていましたし、実際に相談してみると英語をしゃべる方がいるとのことでした。
むしろ、こっそり「ここは第一候補だな」と思っている場所には驚かされました。そこは純粋に日本資本の場所ですし、やや伝統的なロケーションですが、なんと英語をしゃべる方がいるらしいです。
確かに都内の料亭ですし、日本語を喋らないお客さんがいらしたときに英語をしゃべる方がいると便利なのでしょう*1。相談したところ、その方が忙しくなければ、わたし達のところに配置してくださるとのことでしたのでありがたくお願いしました。
Ready, set and...
さて興味がある場所はすべて見学と相談をお願いしましたので、準備は整いました。さてどうなることやら。